「田舎のプロレス」発言で一番残念だったのは茶番=プロレスという認識

自民党・安倍晋三首相の側近である萩生田光一内閣官房副長官の「田舎のプロレス」発言で私にとって一番残念だったことは、どれだけプロレスに思い入れを抱いていている人がいても、プロレス界が盛り上がってきても、相変わらず茶番の例えとしてプロレスが認識されていることでした。

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この問題については馳浩前文部科学大臣、リアルジャパンのコミッショナーで民進党の榛葉賀津也参院国対委員長、元内閣総理大臣の野田佳彦民進党幹事長をはじめ、多くの人が不快感を示しました。

「田舎のプロレス」発言までの流れは…

  • 与党、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)承認案を衆院採決。
  • 野党、強制採決(審議不十分)だと訴える。
  • 萩生田氏、(「反対」と書かれた紙を掲げるなど)野党の対応を「田舎のプロレス、ある意味茶番」と発言。

萩生田氏の要点は、野党の反対は茶番=こっけいで下手な芝居だから、そんなことはやめてちゃんとした政治のあり方に変えるべきだということでした。

しかしその例え話として、ロープに振ったら戻ってくる、チョップを食らったら倒れるという「田舎のプロレス」のやりとりという表現を使いました。

身体一つで命懸けで闘っているプロレスラーに対する尊敬の念もなく、地方軽視で、自分が知りもしないジャンルのプロレスを、相手を皮肉る例え話に使う軽薄さ。

この発言は怒りを買って当然でしょう。

もちろん私も不快に思いましたが、それ以上に世間の認識では相変わらずプロレス=茶番だということへの残念な気持ちが大きかったです。

私の周りでどれだけプロレスが盛り上がっていても、その輪の中にいない人にとっては関係のない話なわけで。

ロープに振られて戻ったら殴られるのがわかっていても戻る勇気、チョップにあえて胸を突きだして避けない覚悟、そういうことをプロレスを肌で感じたことがない人に説明しても大抵は「意味がわかんない」で終わってしまいます。

別にそう思っている人なんか放っておけばいいじゃんという声もありますが、それではいつまでも茶番だと馬鹿にされたまま

どうプロレスと向き合って楽しんでいくは人それぞれで構いませんし、つまらないならつまらないでもいい、嫌いなものは嫌いで結構。

ただ私はプロレス観戦したこともないような人に見下されたままでいるのは我慢ならない。

なので是非馳さんには萩生田氏をプロレス会場に連れていってもらい、プロレスという言葉をなんとなくのイメージで誤用しないように、教育者らしくしっかりと教育していただきたいです。

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「「田舎のプロレス」発言で一番残念だったのは茶番=プロレスという認識」への4件のフィードバック

  1. 念力が使える、魔法で相手を投げ飛ばす、芸No人が大活躍、宇宙人や妖怪がリングに上がるetc
    言い出せばキリが無い程、茶番要素が出てくるインディー団体のせい。
    また昨今大手老舗団体も演劇化してしまっているので、茶番と言われても仕方が無いのが今のプロレス。
    一方激昴する選手すら居ないのも今のプロレス。
    橋本や三沢が泣いてんぞ!

    1. 声を上げる選手が少ないことは、私も非常に残念です。

  2. 命懸けとか勇気とか聞こえは良いけど、結局のところプロレスラーってただドMなだけのような気がする

    1. そうかもしれませんね。
      ですが、議員という立場にある人が知りもしない分野を、悪い例えとして使うのはどうかと思います。
      プロレスを、プロレスラーを実際に見てから、野党の言動をどう例えるのか聞いてみたいです。

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