棚橋弘至が振り返る柴田勝頼とのライバル関係「憎しみがありました」【新日本プロレス・2020年5月】

新日本プロレス・棚橋弘至選手が柴田勝頼選手とのライバルストーリーについて語りました。

新型コロナウイルスの影響により、新日本プロレスはレスリングどんたく2020までの全大会の開催を中止

この機会にと、過去の名勝負を見る機会が増えるなか、棚橋弘至選手が隠れタナ名勝負として2006年1・4の柴田勝頼選手とのシングルマッチを選出。

今でこそ仲睦まじい二人ですが、新日本プロレス退団という道を選んだ柴田勝頼選手との間には深い溝がありました。

タナ ファンが見ているのは柴田さんが帰ってきた’12年。そこからの棚橋―柴田物語はよく言われます。あのころもギスギスしてたけど、その前のドームからでしたね。
タナ番 もっと前からですよ。柴田選手とのギスギスは。中邑選手とはそういう関係じゃないじゃないですか。
タナ 純粋なライバルというか。
タナ番 柴田選手との関係はもっとドロドロしているというか。
タナ 憎しみがありましたから。「やめることが新日本プロレス」とか言われたら、残った選手の立つ瀬がないというか。
(中略)
タナ番 デビュー前から同じ寮にいて、しかも同部屋。関係性は深いです。
タナ 仲もよかったですしね。柴田さんとは運命的なものも感じていて。(’14年9月の)神戸で握手した試合がのちにテレビ朝日で扱われて。
タナ番 ありましたね。
タナ 自分で見て感動したんですけど(笑)。あれは今治の巡業中のホテルで見てたんです。見終わったあと部屋から出てエレベーターに乗ったら柴田さんと会っちゃって(笑)。
タナ番 あの年もボクは神戸の試合より秋田のG1の試合のほうが好きですよ。棚橋選手が負けたほう。
タナ あれは負けて悔しかったけど、なにが悔しかったかって断然柴田コールが多かったんです。「こっちで耐えてきた俺じゃねえの!?」って思いました。負けたことも悔しいし、そっち応援するんだって、すごく泣けてきましたね。(引用:週刊プロレス No. 2064)

二人のギスギスは、神戸の試合後に柴田勝頼選手が新日本を守ってくれてありがとうと言って握手をするまで続きました。

二人がまたこうして笑顔でいられるようになるまでの棚橋―柴田物語を、この機会に振り返ってみるのもいいかもしれません。

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