内藤哲也「練習生の時から、もし組むんであれば、裕次郎しかいないと思っていたんで」【2007.6.17】

【新日本プロレス 振り返りNO.1】

一昨日、柴田勝頼選手が試合後のマイクで「3年前の約束」についてコメントしましたが、その頃の新日本プロレスを見ていなかったファンって意外といますよね?

あの選手は昔ああだったんだとか、こういう事を言っていたんだと調べるのってちょっと面倒くさいというご意見を頂きました。

私自身、最近新しい情報ばかり追いかけて過去の出来事を調べたりする事をあまり出来ていなかったので、これから時々こうした振り返りをしてみたいと思います!

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2007.6.17 後楽園ホール

第2試合

B×Bハルクvs内藤哲也
◯ 外道
外道クラッチ
× 裕次郎

まだ内藤選手がコスチュームが黒パンツのヤングライオンの頃。

内藤選手、高橋裕二郎選手ともにベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに初出場した2007年、リーグ戦敗退となった2人が最終日にタッグを結成。

その試合後のコメント

“”裕次郎 今日の試合については、負けましたけど、内藤とのタッグに少しずつ 手応えを感じています。自分で言うのもなんですけど、俺と内藤のタッグはいいタッグチームになりますよ。俺と内藤のタッグチームに期待していてください””
“”内藤 練習生の時から、もし組むんであれば、裕次郎しかいないと思っていたんで、断る理由はないです””

2人が正式にノーリミット(NO LIMIT)としてタッグチームを結成するのは翌年2008年なので、タッグチーム結成前の出来事。

この頃の裕次郎(当時のリングネーム)選手はサムライジムの一員、内藤選手は期待のヤングライオンという立場だったので、もしかしたらこの試合が初タッグだったかもしれない。

もし初タッグだったとすれば、最初から相思相愛だったんですね。

現在の内藤選手とEVIL選手の合体技であるアウト・オブ・コントロール(OUT OF CONTROL)も、元はノーリミットが使用していたリミットレス・エボリューションだったりするし、ノーリミットは内藤選手を語る上で切っても切れない過去。

今見てもノーリミットは本当に名タッグチーム。

高橋裕二郎選手はノーリミットを「リバイバルみたいな感じで蘇らせようとは、お互い思ってないんじゃないですか」(スポーツアルバム No. 58 内藤哲也より)とコメントしていたが、心のどこかでノーリミット復活を願っている方もいることでしょう。

ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンとBULLET CLUB、それぞれで居場所を見つけた2人、今後組むことはなくても対戦する機会はまだまだあるはず。

その時に元タッグパートナー同士の対戦だと知っているとちょっとした表情の違いなども気になり、さらに観戦が面白くなるので知らなかった方は憶えておくことをオススメします。

余談ですが、今の内藤哲也選手とB×Bハルク選手が対戦したらどうなるかも非常に気になる。

#TetsuyaNAITO #losingobernablesdejapon #njpw

NJPW【official】さん(@njpw1972)がシェアした投稿 –

新日本プロレスとドラゴンゲートが絡むのはあまり想像出来ないが、昭和57年会の鷹木信悟選手繋がりから、飯伏プロレス研究所自主興行でなら…というのもあり得ないですね。

とりあえずこんな感じで書いてみたんですけど、Mさん、いかがでしたでしょうか?

これからも昔の出来事をたまに振り返っていこうと思いますので、是非またご意見を頂けたら幸いです。

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