後輩・内藤哲也と先輩・中西学の思い出「実験台というか、エジキになりました」【新日本プロレス・2020年2月】

新日本プロレス・内藤哲也選手が現役引退する中西学選手との思い出を語りました。

2020年2月22日・後楽園ホール大会での現役引退が決定した中西学選手。

新日本プロレス一筋で約27年間闘い続けてきた中西学選手には、その優しくて天然な人柄ゆえに、数々の信じられない伝説があります。

ある時、アトランタ近郊で開催されているちびっ子レスリング教室を取材に行くことになった。市街地から車で2時間ほどかかるが、中西に何げなく話したところ「ぜひ行きたい」と試合前にもかかわらず、無償で駆けつけてくれた。会場は「五輪レスラーが来た」と大盛り上がり。中西は子供や父兄から引っ張りだこでなかなか帰路に就けず、当日夜の試合に遅れてしまった。結局、欠場扱いとなり、中西は穴をあけた罰として数試合干されてしまったという。すぐに謝ったが、中西は「気にせんといて」と恨み言を一切口にしないどころか「子供たちと、ええ時間を過ごさしてもろたわ」と豪快に笑ったあの横顔は今でも忘れられない。(引用:東スポweb
一部では有名な話だが、秋山は入部と同時に中西と同部屋に入った。1年坊主と4年生。他の4年生が神様的存在だったのに対し、中西だけは違った。ある日、緊張し続けていた秋山が「一緒に見ないか」と誘われたのは、まだビデオテープだった時代の洋モノAV。中西は画面で金髪美女があえぎ声を上げると「Oh Baby Yes! Yes!」と同時に野性の咆哮を上げたという。やがてクライマックスを迎えるや、中西は興奮しきった様子で「Oh Yes! Baby I’m Coming!」と絶叫。当時19歳の秋山は横で凍りついていた。「新入生の緊張を解こうという中西先輩ならではの思いやりでしたが…逆に緊張しまくっちゃいました(笑い)。でもそんな優しさが魅力でした」(引用:東スポweb

優しいけれど、どこか抜けている、でも優しいから憎めない。

そんな中西選手と本隊時代に共に闘っていた内藤哲也選手が、若手時代の思い出を語りました。

ただ、中西選手の公開練習のとき、その相手にオレが駆り出されたことがあって。
パレハ え。平澤さんではなく?
内藤 たぶん、平澤さんはちゃんこ番だったんですよ。で、大☆中西ジャーマンの実験台というか、エジキになりました(苦笑)。
パレハ ああ!08年の1・4東京ドームで巨漢のアビス選手との対戦を控えて、中西選手が新技として開発したときですね。
内藤 そうです。若手時代の内藤哲也は、お客さまのいない道場のリングで、ロープの反動を使ったジャーマンで投げられ、さらにダメ押しのジャーマンで叩きつけられたわけですよ。しかも、その一連の動作を2~3回繰り返して、コッチは完全にKO状態でしたね。
パレハ それは公開練習というより公開処刑に近いですね(苦笑)。
内藤 投げる際に中西選手が「ごめんな」ってボソっと言ってるのが、意識が遠くなりつつある中で聞こえたのを覚えてます(苦笑)。(引用:週刊プロレス No. 2051)

TNAのアビス選手とのシングルマッチに向けて開発された大☆中西ジャーマンの実験台にされてしまった内藤選手。

ごめんなと謝りながらも完全にKO状態になるまで投げ続けるのがとても中西選手らしい。

また、今となっては貴重な後輩・内藤選手の素の姿が中西ランドで現在も見ることができます。

いつまで中西ランドのアーカイブが残されるのか分かりませんので、ぜひこの機会にご覧ください。

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