KUSHIDA「もっと自分をたくさんの人に見てもらいたい」【2011.2.3】

【新日本プロレス・振り返りNo.57】

今回は2011年2月3日のKUSHIDA選手!

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6人タッグマッチ

中西学vsジャイアント・
バーナード

ストロングマン
〇 カール・
アンダーソン
ガンスタン
× KUSHIDA獣神サンダー・
ライガー

2011年2月3日・白河市中央体育館大会、この日からSMASH所属のKUSHIDA選手が新日本プロレスの巡業に本格参戦。

KUSHIDA選手は前年2010年からSUPER J TAGトーナメント、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア17、J SPORTS CROWN 無差別級6人タッグトーナメント、SUPER J TAG LEAGUEを中心に新日本プロレスに参戦。

そして自分をより成長させるために自ら新日本プロレス参戦を直訴。

モチベーションはあるのに、試合が少ないことにはどうしようもなく、もっと自分をたくさんの人に見てもらいたい。試合をしないと、これ以上の成長は望めない。自分をどんな環境に置けば成長出来るか、自分が1番よく分かっているつもりだ。居心地の良さなどといった安定を求めるな、常にアウェーに挑み続けろ!と最近読んだ文献にも書いてあった。
そして、またSMASHというリングは、常にレスラーとしての変化、成長をしていかないと淘汰されていくリングだ。
そうした中、いろいろ考えた。悩んだ。参戦をお願いした。シリーズ前、新日道場での合同練習にも参加させて頂いた。(引用:プロレスラーKUSHIDAのレスリング浪漫飛行

自身のターニングポイントとなったSMASHでのプリンス・デヴィット(現:フィン・ベイラー)選手、内藤哲也選手とのシングルマッチを経て、KUSHIDA選手が望んだ舞台はやはり新日本プロレスでした。

このシリーズ終了後、KUSHIDA選手はSMASH退団と新日本プロレス移籍を発表する。

たらればの話ですが、もしKUSHIDA選手がSMASHに残っていたらどうなっていたのだろうか。

今もSMASHはあったのか、それともWNC旗揚げに携わり、後の黒潮イケメン二郎選手らとレッスルワンに移籍したのか、それともWWEを目指したのか。

もしかすると全日本プロレスで世界ジュニアヘビー級王者に輝いたり、CMLL経由で新日本プロレスに逆輸入したりして…

いずれにしても、KUSHIDA選手が新日本プロレスに来てくれて良かったと心から思います。

関連:新日本プロレス振り返りまとめ(2007.6~)

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