中邑真輔「少しは!ケンカできるようになったか?」【2011.12.4】

【新日本プロレス・振り返りNo.113】

今回は2011年12月4日の内藤哲也選手と中邑真輔選手!

シングルマッチ

× 内藤哲也vs〇 中邑真輔
ボマイェ

関連:試合動画(新日本プロレスワールド)

2011年12月4日・愛知県体育館大会、年内最後のビッグマッチで遂に決着戦を迎えた内藤哲也選手と中邑真輔選手。

しかし内藤哲也選手は、前哨戦の一部を左肘頭滑液包炎(ひだりちゅうとうかつえきほうえん)のため欠場。

通常であれば無理だと判断するし、本来ならドクターストップという満身創痍の状態で試合に臨む。

両者ともに喧嘩腰で仕掛けていくが、内藤哲也選手はドロップキックの着地で左肘がマットに当たるだけで苦痛の表情。

序盤はボディ狙いの中邑真輔選手も、髪を掴んで挑発されると、非情にも左肘を集中攻撃。

だが内藤哲也選手も左肘に巻かれたテーピングを自ら外して意地を見せる。

互角の攻防が続くと、内藤哲也選手の張り手連打に対して、中邑真輔選手がナックルで応戦すると展開がさらに加速。

内藤哲也選手はジャンピングエルボー、ジャーマン、エボルシオン、グロリアとフルコースで決めるが、スターダストプレスは躱されてしまう。

だが諦めることなくカサドーラ、ポルボ・デ・エストレージャ、ジャパニーズ・レッグロール・クラッチホールドで丸め込むも決まらず。

そして中邑真輔選手が渾身のボマイェを決めて勝利!

中邑「少しは!ケンカできるようになったか?あ?どう?質問ある?『週刊プロレス』擁護してやれよ?天才?キャリアにしては?……ど〜でもいいんだよ。ケンカ売ってきて、途中で尻つぼみか?そりゃあ、ねーよな?ま、ケンカの一つや二つできねーと、こっちとしてもおもしろみがねーぜ!」(引用:新日本プロレス公式サイト

試合後、内藤哲也選手の左肘は真っ青に腫れあがってしまい、年内の残りの大会を欠場することとなる…

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